「話し下手の自分」を克服し、その経験から得たエッセンスを元にして、独自のプレゼン指導体系を確立。これまでに、40,000人以上のビジネスマンを指導してきた。現在は、「日本人のプレゼン力を伸ばすことで、世界における日本の存在感を飛躍的に向上させる」ことに闘志を燃やしている、マーキュリッチ株式会社 代表取締役 西野浩輝のインタビューです。

 

Q:現在「プレゼン研修」等の講師として活躍されている西野さんですが、幼少時代はどんな子供だったのですか?

西野:意外に思われるかもしれませんが、子供の頃は「超・超・超、引っ込み思案のシャイボーイ」でした(笑)。本当に非社交的で、人前で話すどころか、それを考えるだけで足が震えるくらいの、おとなしい子供でしたね。

一方、母親は典型的な教育ママで、「勉強も運動もできる、活発で強い男」に育てようとしていました。でも残念ながら、母の期待とは正反対の子供で・・・(苦笑)。私自身も、それがわかっていたので、いつも強いプレッシャーとコンプレックスを感じていました。

大学は理系に進みましたが、これも「コミュニケーションが苦手だったから」というのが理由のようなものです。これと言ってやりたいこともなかったので、ただ何となく受験勉強をして進学した、という感じですね。本当に夢のない若者だったと思います。

とはいえ、「人前でうまく話せるようになりたい!」という憧れは強烈にもっていて、テレビ等で話し上手の人を見つけると、食い入るように見ていました。こうした経験は、後になって活きるものですね。プレゼン研修には、他人の話し方を観察して分析する「観点」が必要なのですが、これがその「観点」を身につける第一歩になったように思います。

Q:その後大学院に進み、留学を経験したことが、大きな転機になったそうですね?

西野:3か月ほどスイスに留学しましたが、このときの体験は鮮烈でしたね。そこでは、世界中から集まった留学生たちがディスカッションするイベントが定期的に開催されていました。私も何度か参加しましたが、そこで「手が届かないほどのプレゼン力の差」をまざまざと見せ付けられたんです。

そのイベントは、何人かが全員の前でプレゼンをし、それをベースに討議する、という形で進められていました。欧米から来た学生連中のプレゼンの、何とうまかったことか!それに比べ、自分をはじめとする日本人のプレゼンは目も当てられないくらい下手でした。本当に、心の底から悔しい思いをしましたね・・・。

ただ同時に、私は心の中で誓ったんです。

「絶対コイツらよりうまくなってやる!」

「世界一のプレゼンターになって、見返してやる!」と。

こうして、私の『プレゼン・リベンジ・ヒストリー』が始まりました。

 

Q:その後、リクルートに就職されたんですね?

西野:リクルートという会社は、若い社員にも自分の意見をどんどん述べさせる風土があり、とても刺激がありました。でも、リクルート時代で最も印象深い出来事は、一番親しい同僚を交通事故で失ったことです。そのときのショックは、今でも鮮明に覚えていますね。

あまりにも突然のことだったので、彼の葬儀は悲しみの中で厳かに行われました。しかし私は、「何かが足りない」と感じずにはいられませんでした。彼は生前、華やかで楽しいことが大好きだったので、本当はにぎやかに明るく送り出して欲しかったのではないかと考えたのです。そこで、私の発案で「大追悼パーティ」を開催することにしました。

実は、私の人生におけるベストプレゼンテーションは、このパーティの最後に行ったスピーチではないかと思っています。彼の想い出を楽しく話してみんなを笑顔にし、最後には彼を偲んで涙を誘うという、思い通りのスピーチができました。今思うと、彼が「この道に進めよ」と私を「後押し」してくれたのかもしれませんね。実際に、この成功体験は自分の「プレゼン人生」を大きく好転させる出来事になりました。

 

その後、アメリカン・マネジメント・アソシエーション(AMA)という外資系企業に転職します。リクルートでは、人材教育のビジネスに携わっていたのですが、やはりこの業界をリードしているのはアメリカなんですね。「この業界の最先端のものを勉強したい」という思いが強かったこともあり、当時アメリカ最大のビジネス教育会社であるAMAに転職しました。

営業マンとして採用され、意気揚々と入社したのですが、働きはじめたらイバラの道が待っていました(笑)。まず第一に、日本で売れるような商品が何もない。会社の体制も全く整っていない。外国人上司ともうまく行かない。ないないづくしでした。毎週月曜日に会社の全体ミーティングがあったのですが、いつも私はこの上司と大喧嘩していました。当然英語でやるわけです。相手はネイティブなので、いつも私が言い負かされてしまう。要は英語でのプレゼン力の差で勝てないんです。でもどうしても勝ちたかった。そこで、この時を境に英語とプレゼンを徹底的に鍛えよう、と思ったんです。

この当時苦労したもう一つのことは、クライアントの外国人に対するプレゼンでした。当時AMAは日本では無名だったのですが、海外では結構ネームバリューがあり、それを利用して営業をかけていったのです。

アポが取れ、商談が進むとプレゼンテーションになります。当然ですがこれを英語で行うのですが、厳しかったですね。ただそういった中で、不十分な英語力ながらも、わかりやすく、インパクトのあるプレゼンをするための工夫をしたことで、プレゼン力が飛躍的に伸びたと思います。

この時は、Toastmasters等、複数の英語スピーチクラブに入ったりして、プレゼンと英語に関して本当によく勉強しました。ビジネスとプライベートを合わせると、500回近い英語プレゼンを行ってきましたが、この時期に最も集中的に行ったと思います。

おかげさまで、TOEICも満点(990点)を取ることが出来ましたし、プレゼン力の向上と相まって、ビジネス人生も好転していきました。「やり切る」ことで道が開ける、という体験をここですることができたのは非常に大きかったと思いますし、能力開発の重要性やパワーも実感できた時期でした。

 

Q:その後起業することになるわけですが、きっかけは何だったんでしょうか?

西野:長らく研修業界に携わって来て、何とか解決したいという課題を持っていました。それは、「退屈」「実践的でない」「効果が長続きしない」という研修に対する負のイメージです。これを何とか変えたいと思っていたんです。

当時はクライアントに研修講師を派遣する、という営業をしていたのですが、この頃からお客さんに「西野さんが講師をしてくださいよ」と言われることが多くなっていきました。はじめは「営業マンなので」という理由で断っていたのですが、ありがたいことにその数がどんどん増えていき、断りきれなくなってきたのです。

そこで、「よし!じゃあ自分が起業して始めてみよう!」「自分がこの業界を変えてやる!」と一念発起し起業したわけです。

起業後、研修というプログラムを提供する際に、とにかく意識したのは、「エキサイティング」で、「実践的」で、「効果が出る」研修にする、ということでした。それによって、何としても研修業界の負のイメージを払拭したかったんです。

考え抜いた末に出てきた手法・コンセプトが「受講者のフィードバック力を高めることで、プレゼンスキルを短期間で、かつ継続的に伸ばす」というものでした。

通常、プレゼン研修などでは、受講者が皆の前でプレゼンやロールプレイをし、それに対して他の受講者や講師がフィードバックをする、というのが一般的なやり方です。私はこれでは飛躍的にスキルを伸ばすのには、不十分だと思いました。

どうしたかというと、「フィードバックに対するフィードバック」というのを取り入れたのです。

たとえば、受講者Aのプレゼンに対して受講者Bがフィードバックをします。その「フィードバック」に対して講師がフィードバックをすることで、フィードバック自体の精度を上げさせるわけです。それをすることで「他人のプレゼンを分析する力」をつけさせる。そうすれば、職場に帰ってからも他者のいいところを盗むことによって、継続的にスキルを伸ばしていける、という理屈です。

このやり方でもう1つよかったのは、そうすることで受講者に研修のあいだ中、大きな「負荷」がかかることですごくいいトレーニングになっている、ということでした。

要は、『しんどい研修』を受講者に課すことで、短期でグッとスキルを伸ばす、ということにもなったわけです。

 

このやり方を取り入れてみると、思った以上に反応も評価もよかった。「この研修を受けて人生が変わった!」と言ってくれた人もいたくらいで、この時「これが自分のライフワークだ!」と確信しました。

ありたがいことに、私の研修に対して「実践的だ」「どうすれば話し上手になれるか、というのが具体的でイメージしやすい」「明日からのプレゼンが楽しみになった」と言って下さる受講者が非常に多いんですね。

この理由は明確だと思っています。私自身が元々「超」話し下手だったから。素質のない人間が、もがきまくった中で見つけたやり方や法則をまとめ、それを伝えているからなんです。そういう意味では、自分の暗い過去(笑)のおかげで、今他の方に少しでも貢献できているんだから、人生はわからないものですね。

 

これまで40,000人近い人を指導させてもらってきましたが、その中で一番印象深かったのは、ある経営者に対するプレゼン指導です。はっきり言ってはじめその方のプレゼンを見た時には、目も当てられないくらいのひどいプレゼンでした。年齢も60歳すぎで、本人も「今さら勉強しても伸びるかな?」という半信半疑のオーラがものすごく出ていました。

ところが指導を始めると、まるで別人のようにうまくなっていったんです。本人もびっくりするくらいの伸びでした。その成長度合いは、私自身の想像をはるかに超えていました。よく「若い人の方が伸びる」「今さら勉強しても遅い」などと言われがちですが、それは完全に間違いである、ということを気づかせられる大きな出来事でした。

その方も「このトレーニングを受けたらビジネスの成果に直結する。みんなが受けたら会社がよくなる。」と言って下さいました。

こういう感動の場面に出会えるからこそ、この仕事を続けているし、ずっと続けたいと思っているんですね。

 

Q:今後のビジョンをお聞かせいただけますか?

西野:日本には、現在グローバル化の波が押し寄せており、日本人は文字通り世界の舞台で戦っていかないといけない。まさに待ったなしの状況です。そんな中で、日本人の「謙虚さ」「奥ゆかしさ」がマイナスに出てしまっている部分があると思っています。

それは、日本人の発信力の弱さです。

あるグローバル企業の人材開発の担当者がおっしゃってました。

「日本人はいいものを持っているのに、発信力が弱く、プレゼン力が低いためにすごく損をしている。それが故に低い評価に甘んじてしまっているのが何とも腹立たしい」と。

この言葉は本当によく理解できるし、共感します。私自身、スイスでこの悔しさを感じ、リベンジヒストリーが始まったわけですし、AMAでも同じようにたくさんの悔しい思いをしました。

幸いにも自分は「発信力」「プレゼン力」の重要性とパワーに気づき、それを磨くことで道を切り拓いていくことができました。この自分の体験を社会に『おすそ分け』することで、少しでもビジネスマンに幸せになっていただきたいし、世界の中での日本人のプレゼンスを高めるためのお手伝いができれば、と思っています。

これからは「海外ビジネスマンをあっと言わせるレベルにまで、日本人のプレゼンレベルを引っ張り上げること」、ひいては「日本人が世界の舞台で存在感を示し、活躍するための支援をすること」が、私の夢であり、取り組んでいる大きなテーマです。

西野浩輝のリベンジヒストリーは、これからもまだまだ続いていきます。